アウトサイダーアート(アールブリュット)界のスーパースター。ヘンリー・ダーガー「非現実の王国で」

アウトサイダーアート(アールブリュット)の画集や本には必ず登場するアウトサイダーアート界のスーパースター、ヘンリーダーガー。。!

マスダもヘンリーダーガーはアールブリュットやらアウトサイダーアートやらの言葉も存在も知らなかった頃から、本屋さんでたまたま画集を見つけとても気になっていた存在で、

かなり昔に原美術館でやっていた展示も観たし、映画「非現実の王国で-ヘンリーダーガーの謎-」っていうのも渋谷のちっちぇー映画館でやっているのを発見し観に行ったりしていました。

マスダ、ダーガーめっちゃ好きやん。

そう、あんまり気づいてなかったけど、マスダ、ダーガーめっちゃ好きみたいでした。

 

今日はそんなダーガーについてをご紹介です。。!

 

孤高のアーティスト

ヘンリー・ダーガーの代名詞としてよく「孤高のアーティスト」という言葉が使われます。

これはダーガーが生涯ほとんど誰と接することもなく、孤独に生きていたからです。

 

ダーガーは1892年にシカゴに生まれましたが、彼が4歳になる頃、母は妹を出産したことが原因で死亡します。

生まれたばかりの妹は里子に出され、ダーガーが生涯妹に会うことはなかったそう。

ダーガーは父親に育てられますが体調を崩してしまった父親は息子をカトリックの児童施設に預けますが、シスターたちは規則に厳しく、何かとつらく当たったそうです。

周囲ともなじめなかったダーガーは、すでに父親から読み書きを教わっており、かなりの読書好きで1年から3年へと飛び級するほどだったのに、

感情障害の疑いがあると無理矢理医師に診断を受けさせられ、知的障害児施設へと送り出されてしまうのです。

 

これはすごいね。
今だったらシスターたち訴えられんじゃね?

 

▼映画予告編「非現実の王国で ヘンリー・ダーガーの謎」

 

知的障害児施設で過ごしていたダーガーですが、父の死を知り2度の脱走を試み260kmの道のりをなんと徒歩で乗り越え、シカゴに戻ります。

以前紹介した「シュヴァルの理想宮」のフェルディナン・シュヴァルもそうですが、身内の死がものすごく作品を生み出していくことに関係しているんだと知りました。

シカゴに戻ったダーガーは市内の病院を転々としながら、清掃と皿洗いの仕事に就き、天涯孤独の貧しい人生を送ります。

 

孤独からの「非現実の王国」誕生

幼い頃の母親の死、思春期には父親も亡くし、さらに顔も名前も知らない妹の不在はダーガーの心に深く影を落とします。

その絶望的な孤独から18歳の頃ついにダーガーは筆をとります。

子供を奴隷として虐待する大人たちの軍隊に、賢くて万能の力を持っている7人姉妹の少女戦士「ヴィヴィアン・ガールズ」は子供たちを救出するために、長い長い戦争を戦い続ける物語。

 

「非現実の王国で」の幕開けです。
(正式には『ヴィヴィアンの少女たちの物語〜子供の奴隷の叛乱から引き起こされた非現実の王国として知られるグランデーコ=アンジェリニアンの戦争と嵐』)

この物語は全15冊。1万5000ページに渡る文章と水彩画。

電話帳のように厚い一冊一冊は7冊までが製本されていて、残りの8冊は簡単な表紙を付けて紐で束ねてあったそう。

その物語を彩る挿絵にあたる水彩画約300枚が、今日知られているダーガーの作品たちで、大きいものでは幅3m60㎝に及ぶものもあったそうです。

 

ダーガーの生活は端から見ると、とてつもなく地味な生活だったようで訪ねてくる人は近所の教会の神父以外皆無で、

誰かに話しかけられても話すことは自身が好きだった気象のことばかりで、会話が成り立つことはなかったよう。

雑役夫として働いていた病院と教会のミサを行き来するだけの貧しい生活でしたが、

ダーガー自身が本当の人生としていたのは、この誰にも見せることはなかった創作活動の中だったんじゃないでしょうか。

 

自分には絵の技術がないと諦めていたダーガーは、コラージュやトレース写真拡大など工夫を凝らして「王国」のイメージを作り上げていったのですが、

その材料となったのがゴミの中から漁った雑誌、新聞、広告、カレンダー等だったため物語がわからずとも、

見慣れたイメージで作られていることから親近感を持ちやすいのかなと思いました。

マスダも本当にただ単に絵柄が可愛いなという所から入り、でも可愛いだけじゃない何かを感じつつの魅力もありました。

女の子を描いているのにその女の子の身体に男性器がついているというのも、この作家の精神性への興味と魅力も感じていたのです。(ま、今までずっと突き詰めなかったんですが。。)

 

この創作活動はダーガーが体調を崩し、制作していたアパートからカトリックの救貧院に移らざるをえなくなるまで続きました。

このダーガーのもうひとつの世界はダーガーだけのものでしたし、誰にみせようとも思っていなかった世界ですが彼が死ぬ直前、ダーガーが暮らすアパートの管理をしていたネイサン・ラーナーによって発見されるのです。

 

ネイサン・ラーナー

ネイサン・ラーナー!
この人がアパートの管理人だったのはきっと偶然ではないんじゃないでしょうか。

シュヴァルの理想宮のように、外に作られたものはその素晴らしさを発見されやすいですが、

ダーガーの場合は誰かに見せようと思って作っていませんから、発見されなければ本人しか知ることはないですし、

発見されたとしても見つけた人がこれはすごいものだと気づかなければ捨てられるだけでしょう。

 

でもネイサン・ラーナーは自身も芸術家だったので、ダーガーの大量の巨大画集のようなものを見てピンときたそうだ。

さすがラーナー!かっこいいぞ!

 

ダーガーが救貧院で過ごすことになったため、アパートの部屋を片付けているところ、床から天井に届くほどまでのゴミの山の中からこの画集を見つけます。

本当はこの部屋を片付けて別の誰かに貸そうかと思っていたのですが、この画集を見つけたことにより、できるだけそのままの状態で保存をすることを決めました。

Henry Dargerより引用

老人が残していった遺品なんて見たがる人がいるだろうか。。という不安もあったそうだけれど、

結局この部屋は2000年4月13日に解体されるまで残され、公的な施設での保存、収蔵、研究が進められることとなったのです。

 

アウトサイダーアート(アールブリュット)って、もともと生み出している本人自体は人に見せて有名になりたいだとか、売りたいだとか、認められたいという気持ちがなく、

ただひたすらに自身と向き合うその恐ろしいまでの作業に私たち普通の人たちは惹かれていくのだと思います。

そして誰に見せるでもなく作り続けているため、第一発見者の存在はとてつもなく重要な役割りを担っているのだと気づきます。

ネイサン・ラーナーのような存在がいなかったために消えていった作品たちもたくさんあるのではないでしょうか。

最近はやっと少しずつ、アールブリュット、アウトサイダーアートの凄さや力が認められてきているような気がしていますが、

きっとまだまだの部分も多くあると思うので、もっと多くの人たちがこの素晴らしさに気づいてほしいと願います。

 

マスダ トモミ
いや、ヘンリーダーガーをまとめるのは難しい!めちゃ長くなりました。。

 

マスダが渋谷で観た映画「非現実の王国で ヘンリー・ダーガーの謎」のDVD。
気になる方はぜひ*

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