基本的にマスダはぐうたら人間です。
絵を描く仕事をしたいと思い、デザインの専門学校へ行くも、ろくに勉強せず遊んでばかりいて進学出来なくなりそうになった事もありますし、バイトをするも、何をやっても続かずさまざまな仕事を転々としてばかり。
絵の活動をする!と地元北海道から東京へ出てくるも、絵の活動なんて全然せず遊びほうけてお金もなくなり、キャッシング生活をしていたこともありました。
本当にダメ人間の見本のような人だったと思います。
絵を描きたいという気持ちはあるのに
小さな頃からずっと絵のお仕事をしたい、と思っていたにも関わらず結局何の行動もせず、ただただ日々が過ぎていくばかりでした。
そんなマスダが絵の活動を一生していこう、と覚悟させてくれたのは子供の死、でした。
今もひとり子供がいますが、その前にも子供がおり、
初めての子供で、なにもわからなかったマスダは子育てを楽しむ余裕もなく、子育てだけでもう毎日必死でした。
もう絵の活動も出来ないのかもしれない。。
と、前からそんなに活動してもいないのに、毎日の子育ての大変さからそんな風にも思ってしまっていました。
正直、子育てを楽しめていなかったところがあります。
でも子育ての中から気付かされた事もたくさんありました。
長い間アパレル販売員として働いていたマスダは、働いている頃は物欲のかたまりで、次はあの服が欲しい。。あの靴も欲しい。。と、欲ばかりでと自分の事しか考えてなかったように思います。
子供によって気付かされたこと
子供が生まれてからは特に働いてもいなかったので、ほとんどを子供と一緒に過ごし、こんなに人と一緒にいる事は今まで生きてきてなかったな、と思うくらいに一緒にいました。
その中でマスダは、
「あ、こんなに近くに動物たちや虫たちが生きているんだな。」とか
「子供を育てるならやっぱり自然が多い所で育てたいな。」
など、今まで見ていなかった部分に気付きました。
子供と公園に行き、そこに落ちていたセミの抜け殻を子供がぐわしッ!とつかみ、食べようとした時、「知らない」という事のすごいパワーを感じたりもしました。
ずっと販売員の仕事と家との往復しかなかったマスダにとっては、こんな世界もあったんだ。。と自分の枠が広がっていくのを感じます。
今までだったら絶対に出会わなかったであろう人たちと「ママ」というつながりで仲良くなっていく事もおもしろいなぁ〜と思いました。
少しずつ子育てにも慣れてきて、楽しくなってきた頃、突然それはやってきました。
朝起きると、いつもぷくぷくしてあたたかかった子供が固く、冷たくなっていました。子供が2歳の頃です。
突然の出来事すぎて、何が起こっているのか理解出来なかった。
理解出来ないまま色々な事が進んで行き、最後に小さな骨壺の中に入った子供を手渡されます。
毎日毎日毎日毎日毎日泣きました。
導かれたような画家の道
この先の事なんてまったく考えられなかったですし、ただただ悲しみに打ちひしがれていた時。
お葬式が終わって数日後だったと思います。突然
「今、東京に住んでるんだ〜」
と、北海道のデザインの専門学校で一緒に学び、絵を描いている札幌にいるはずの友達から連絡が来たのです。
それまで全然連絡を取っていませんでしたし、その友達もマスダが子供を亡くしたなんて知りません。
え!?
本当に驚きました。その後もなぜが画家さんと知り合う事になったりで、今まで絵の活動なんてしていなかったマスダですから絵関係の友達はひとりもいない中、
あれ、絵を描いていけばいいのかもしれない。。と思わされる出来事が重なったのです。
そこからマスダの絵描き人生は始まります。
30代半ばという遅いスタートでしたが、誰に何を言われても一生絵を描いていく、と覚悟を決めました。
もし、マスダが死んだなら、きっとその時また亡くした子供に会えると思っていますが、会えた時
「ママはこんな風にこんな事をがんばったよ。」と伝えられない人生は嫌だと思ったからです。
「ああ、あの時こうしておけばよかった。」
と思いながら死に、子供に会うのは嫌なのです。
本当に進みたい道でやりたい事をやって生きていく。
本当に大切な人を亡くし、その事からやっとそんなことに気付かされ、覚悟を決める事となりました。
この悲しみを乗り越えてがんばっていかなくては。。!と思ったりしたこともありますが、この悲しみは今もずっと消える事はありません。
きっとずっと悲しいままです。でも乗り越えなくてもいい悲しみもある、と今は思います。
乗り越えて忘れてしまうことなんて一生ありませんし、だったらその悲しみをもって、一緒に進んで行こうと思っています。
ずっと一緒にいて気付かせてくれた事、亡くしてから気付かせてくれた事、それらを大切に悲しみも一緒に持って、これからも後悔のない日々を送っていこうと思うのです。
※追記
この記事を書いたときにはまだ、乗り越えなくてもいい悲しみはある。と思って書いていました。
でも、その後この悲しみも乗り越えていくべきなんじゃないかと思い、今までずっと書くのを怖れていた子供の死、のことを書きました。
自分自身のため、という部分と大切な人を亡くされた方の何かになればという思いとがあって書いたものです。
そう思えるまでには10年以上の月日が必要でしたが、時間は本当に傷を癒してくれるのだと思います。
もし必要かなと思う方がいらっしゃれば読み進めていただければと思っています。