マスダが本当にやりたかった事、絵の活動を始めたのは34歳から。
かなり遅い方かなと思います。
遅い方でしたが、それまでに絵を描くということ以外のさまざまなお仕事の経験は、画家活動を始めてからとても役立っており、きっとその経験がなければこんなに多くの活動をさせていただけなかったんじゃないかなと思っています。
マスダはスローペースの人間ですが、そんな人間でも本当にやりたかったことにたどり着けました。
それまではかなりのぐうたら人間でしたが。。汗
初めて頑張ったのはアパレル販売員のお仕事でした。
初めて頑張ったアパレル販売員の仕事
マスダは北海道出身で、初めて販売員のお仕事をしたのも北海道にいるときでした。
販売員を始めた頃はまだ全然がんばっていない時。
働いていたスタッフが初めて販売員として働くマスダともうひとり、初めて働く女の子の2人だけだったため、本当に遊んでいるようなものでした。
販売員として働く前もバイトが続かず、テレアポ、ウエイトレス、パチンコ屋、焼き肉屋ホールスタッフなどなどとにかくバイト先を転々とするような人間でした。一週間でやめたバイトもあります。
今思うと、そういう仕事にはすべてマニュアルがあり、こうなったらこうしてください、というような決まりがあったわけですが、そういうマニュアルがある仕事にマスダは面白みを見いだせない、つまらなく思ってしまうタイプだったのです。←言い訳?
でも。。!
東京に出てきてから紹介してもらった、まだ出来たばかりのブランドでの販売員の仕事は楽しいものでした*
そのブランドの小さな会社の社長は、
「売れるように、とにかく自分たちでいろいろやってみてよ。」
というマニュアルがない自分で自由に考えて試していくスタイルだったのです。
これはステキ!
このブランドで働き始めたのがすでに25歳くらいだったため、年齢的に店長という大役をまかされ、そのショップはマスダのやりたいようにやれたのです。
このとき、マスダは思いました。
今までな〜んも頑張ってこなかったワイ(マスダ)、ここで頑張んねぇで、いつ頑張るんだ?
「ワイ、ガンバルッ!!!」
そう、今までなんにも頑張らず、フラフラしていたマスダもここまで頑張ってなかったら、自分ヤバいんじゃないか、と薄々気付き始め、がむしゃらに頑張ります。
頑張って頑張って頑張って、いつの間にやら店長という立場より上のフロア長という、何店舗かを見て回りお店作りやスタッフへの教育をしていく立場となっていきました。
大変なときもありましたが、これ!と思ったら一直線になってしまうマスダはとにかく頑張らねばと頑張り続けました。
頑張り続けた結果。。
マスダ、軽いウツになってしまったようです。
いや、その時はウツだなんて気がつきませんでしたが、後になって偶然ウツになった人の本を読み、あまりにもその時の自分と同じ症状だったため、
「あ、あの時マスダはウツになっていたんだ。。」
と気付きます。
そしてあまりにも辛くなったため、ウツになったマスダは販売員の仕事を辞めました。
辞めるといつの間にやら、ウツも治ったのでそうとうストレスだったんだなぁと思います。マスダ、30歳の頃です。
そしてその後マスダの転機とも言える、大切な人の死を経験し(詳しくは子供が動かなくなった日。そこからの気付きと覚悟。を読んでください)
34歳から絵の活動を始めるのですが、今思えばこの販売員時代がなければ極度の人見知りだったマスダは絵の活動をして絵を観てもらっても、誰にも話しかけられなかったと思いますし、絵を描いて行く事を趣味ではなく仕事としてどうやったら収入を得られるか、ということを考える事もなかったのではないかと思うのです。
一般的に考えれば、めちゃくちゃ遅いスタートですが、マスダの人生ではこれが妥当なスタートラインだったんじゃないかと思います。
そして、本当にやりたかった道、スタートさせれば色々な方に助けられながらもなんとかなっていくように思います。
活動しはじめてすぐに企画ギャラリーさんからお声がけいただき、個展をさせてもらえることになったり絵をご購入いただいたりということが続き、
「ああ、絵を描いていくことは間違っていない。この道でいいんだ。」
と本当に少しずつですが、力をもらうことも出来ました。
子供が生まれてからも
画家としての活動を始めてから再び子供が生まれ、子育てしつつの活動となりましたが、まわりの人たちに助けてもらいながら活動していくことが出来ました。
百貨店の美術画廊で展示させていただく機会もあったり、本当にいろいろな経験をさせていただけて感謝するばかりです。
子供が生まれたことで気持ちに変化も出てきて、作風も変化していきました。
その後、さまざまな方々と出会い、具象画から抽象画へと変化してきたり。また、他の作家さんとのコラボなんかもさせていただき、刺激をいただくことも多くあります。
▼キャンドル作家さんの缶キャンドルのパッケージに絵をご使用いただきました。
▼ジュエリーデザイナーさんとのコラボで、抽象画と手前のクラゲ作品も作りました。
そうして、こうした経験を元に今はまた違った形でワークショップをさせていただいたり、画家活動の方向性も定まってきています。
34歳から始めて、もう10年ほどになりまた新たな道がスタートしているところですが、あのとき年齢なんて考えもせずただただ進んできたことに1ミリも後悔なんてありませんし、こうやって生きられていることが本当に嬉しいのです。
こんなこと言うとおかしいかもしれませんが、マスダは死んだら亡くした子供に会えるなぁと思っていて、ちょっと楽しみなところがあります。
もし自分が死ぬときに
「ああ、あれやっておけばよかったな。。」
と後悔しながら死んで、亡くした子供に会いたくないのです。
自分の人生なのだから、自分自身が納得する生き方をして何ものにもとらわれず、これからも進んでいこうと思います。
そして年齢を問題にするかしないかは、自分次第だと思っています。
マスダの作品についてはこちらの記事をどうぞ。