ぐうたらマスダが画家活動を始めるまでの物語。マスダのぐうたらっぷりをどうぞ。
▼ぐうたらマスダのヒストリー【1】はこちら*
マスダ憧れの職業アパレル販売員をやっていたわけなんですけれども「絵を描いて生きて行く。」という希望はあったので、ちょいちょいまわりの人に
「絵の活動したいんだぁ。」
と言っていたんだと思います。全然覚えてないけど、きっと。
そうしたらよく行っていたバーのマスターが絵の展示イベントをしている人を紹介してくださり、出展することとなりました。
納得いっていなかったのに。。
マスダはそんな出展するだなんてこと生まれてこのかたなかったわけですから、めちゃくちゃ張り切りました。はじめは。。
。。そう。マスダは基本ぐうたら人間。グウタラー。
作品を作ることにはじめは一生懸命でしたが、だんだん時間もなくなってきて
「ま、これでいっか。」
と、自分が納得いっていない作品を出展したのです。
そんな作品を出展して、当日そのイベントに行ったんですがびっくりすることにその作品をみなさんがとても褒めてくださったのです。
この時マスダ、何だか違和感を感じます。
「ここにいちゃダメだ。」
そう感じました。
こんな自分が納得してないものを絶賛されて褒められてしまうような所にいて活動したとしても意味がない。
そう思ったのです。
友達からの誘い。
そう思ったりしていた頃に専門学校卒業後、東京に出て行っていた友達と連絡を取り合ったりしていて、
友達は「東京にきなよ〜」と誘ってくれていたこともあり、マスダ一大決心いたします。
これはもう、東京に行くしかない!
オラ、こんな村イヤだ。東京へ出るだ!
と叫ぶのです。←叫んでないけど。
叫んでないけど、作品を誉めていただいたことと友達がすでに東京にいたこともあり、東京へ行くことを決心いたしました。
楽しすぎた友達との暮らしの結果。。
東京へ行く!と決めて、販売員もやめよ!と働いていたショップの会社に言ったら、そのショップは東京にもあるため、移動をしてきなさいと進められ東京でもアパレル販売員として働くことが出来ました。
そして生活もその先に東京に出ていた友達と一緒に暮らすことになり、不安なく東京へと出てくることが出来たのです。
マスダは思えば、新しい土地に行く時はひとりぼっちになることがありませんでした。
札幌に行く時も高校の友達がいましたし、今回も専門学校の時の友達がいてくれました。
これは本当に心強く、新しい世界へと行ける力ともなっていたなと気付きました。感謝。
とてつもなく心強かったので、安心して釧路の大自然いっぱいのど田舎から、大都会東京に行った結果。。
ぐうたらマスダ画家活動なんてしないで、遊びほうける。
という始末。
マスダ、23歳の時でした。
決心をして東京に出てきたものの、画家として活動して行くのはまだまだ先のお話となります。
*マスダのもっと詳しいプロフィールはこちら♪
ぐうたらマスダのヒストリー【3】