【子供の突然死を経験するということ。4】子供を亡くしてからの日々と不思議な出来事。

この記事は自分自身のため、そして必要な人に届けばいいと思って書いたものです。
はじめにこちらをお読みいただいてから読み進めていただけると幸いです。

【子供の突然死を経験するということ。】はじめに。

2018年1月1日

以前の記事はこちらです。
子供の突然死を経験するということ。3

【子供の突然死を経験するということ。3】すぐ側にいた大切な存在を、失った日。

2018年1月3日

毎日毎日泣く日々。
子供はもうごはんを食べられないのに、自分はなんでごはんなんて食べているんだろう。
子供はもうトイレに行くことさえないのに、なに自分はトイレに行っちゃってるんだろう。

もう子供と共に日々を過ごすことはなく、成長を見守ることも出来ない。

自分よりも先に死んでしまうなんて、思ってもみなかった子供の死。

何もかも受け入れられず、本当にただただ泣くばかりでした。

悲しんでいたら子供が悲しむかもしれない。

ずっと泣くばかりでしたが、だんだんとこう思い始めました。

「私がずっと悲しんでいたら、子供が悲しむかもしれない。」

そんな風に思い、悲しんでばかりいてはダメだと元気に振る舞おうとするものの、それにはやっぱり無理があったようで精神的にも不安定になっていった時もありました。

今思うと、やっぱり悲しい時はたくさんたくさん悲しんだ方が良かったんじゃないかと思います。
無理に大丈夫なように振る舞っても、その悲しみが消える訳でもありません。

とにかくその悲しみが落ち着くにはとてもとても長い時間が必要なのです。

私は10年以上たって、やっとこの悲しみは乗り越えていかなくてはいけないのかもしれない、と思い始めることが出来ました。

絵を描いていけばいいのかもしれない、と思わされた出来事。

子供を亡くし、お葬式が終わって夫の実家にお世話になっていた時のことです。
お葬式が終わり、2、3日後だったんじゃないかと思うのですが、急に札幌のデザインの専門学校で一緒だったイラストレーターの友達から電話がかかってきました。

「今、東京にいるんだぁ。」

と、その友達が言うのです。
札幌に住んでいるはずの絵を描く友達が、子供のことも何も知らないのに急に連絡をくれたこと。
そして、すぐ側にいてくれるようになったこと。

今まで東京に出てきて絵の活動なんてしていなかった私のまわりに絵の関係の友達はいませんでしたし、その友達が現れたことは私にとって、とても大きな意味があるものでした。

その後も別の画家活動をしている方とつながることがあったりしたので、自然と

「絵を描いていけばいいのかもしれない。。」

と思わされ、今までやりたいやりたいと思いつつ結局絵の活動は何にもやってこなかった私は、

「死ぬ時に、これはやっておけばよかった。。と後悔することのない人生を送ろう。そして死んでから子供にママは生きているとき、こんな風に頑張ったよ、と言えるように生きよう。」

そう思い、これから一生、絵を描いて生きていこうと決心したのです。

マスダ トモミ
もう少し続きます。

続きはこちらです。
子供の突然死を経験すると言うこと。5

【子供の突然死を経験するということ。5】どんな人にもその人だけの生きる道がある。

2018年1月5日

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ABOUTこの記事をかいた人

刺繍入り画家 / フィンガーペイントアートクラス認定インストラクター

元アパレル販売員が34歳から画家活動開始。 描く縫う編むことで絵やぬいぐるみ制作しています。 もっと身近にアートを楽しむ、をテーマに活動中。 子供の絵・アウトサイダーアートが好き。▶︎▶︎詳しいプロフィールはこちら