ぐうたらマスダが画家活動を始めるまでの物語。マスダのぐうたらっぷりをどうぞ。
▼ぐうたらマスダのヒストリー【2】はこちら*
大都会東京の楽しさに勝てなかったマスダはとにかく遊びまくります。
2丁目とラフォーレと。
いや、だってさ、マスダは「東京=物価が高い」と思っていたので、先に東京に行っていた友達と一緒に住むことにした訳なんですけれども、
そうしたら始めはその友達しか知っている人がいないし、その友達が遊びに行くところへ連れていってくれる訳なんですね。
その友達が連れて行ってくれるところ、そう、それは新宿2丁目。
だって、友達はゲイなんだもの。←一緒に住むことになって知らされた。
北海道のキタキツネが普通に出てくるど田舎から、ゲイの街新宿2丁目って振り幅デカすぎるでしょ。
色々な衝撃と楽しさで、そりゃ遊んじゃうよね?←言い訳。
▼2丁目のクラブで友達とドラッグクイーンになって、歌ったりしてたマスダ。←お前なにやってんね。
釧路で働いていたお店も東京に何店舗かあり、マスダが働いたのはラフォーレ原宿店。
ラフォーレ原宿って言ったら、オサレっ子たちがこぞって集まるオサレワールド。←田舎者のマスダは知らなかったけど。
警備員の人でさえ、おじさんではなくイケメン揃いというそんな空間で遊ばない訳ないよね?←言い訳。
アパレル販売員ですし、洋服はもちろん毎月買いまくり。
この頃からクレジットカードなども持ち始めたので、マスダのクレジットカード地獄がここから始まっていきます。。
いや、自分で書いてて思うけど、ホント欲望のままに生きているね。マスダよ。
考える力、ゼロ。若いって素晴らしいね!←いや、褒められない。
そろそろヤバさに気づき始めるマスダ。
遊びほうけて、ラフォーレでのお仕事も楽しかったものの、ここでのお仕事も1年で辞めてしまいます。
その後、カフェなどで働いたりもしましたが、また続かずフラフラしていましたら友達が新しく出来たアパレルショップを紹介してくれ、そこで働くこととなりました。
小さな会社だったこともあると思いますが、その会社はとても自由にやらせてくれる所で本当にいろいろな経験をさせていただきました。
24歳で、販売員としてはもうそこそこの年齢でしたし、店長として出来たばかりのお店を盛り上げていくことになった事もとてもマスダに合っていたようです。
そしてこの頃のマスダは、
「今まで何一つ頑張った事がなかったマスダ。ここで頑張らないとそろそろヤバいんじゃね?」
とも思い始めており、とにかく売れるお店にしていくべくがむしゃらに頑張りました。
そうしているうちに、店舗もだんだんと増えて行き、1店舗のみを見るのではなく何店舗かをまかされ売上やスタッフ教育などもやっていくように。
さまざまな事がありましたが、もう頑張るしかない!と必死になっていましたら、いつの間にやら軽いウツ病になってしまったようです。←その時はウツだったとは気付いていなかったけれど。
心と身体がバラバラになってしまったようで、もう辛くなってしまい結局初めて5~6年続いたこのお仕事も辞める事となりました。
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ぐうたらマスダのヒストリー【4】これで最後です!